〜隠岐・島後の地質巡検〜
二日目 8月18日(火)
西郷
昨日は、曇り時々雨でした。でも、幸いなことに、降りて歩くときには雨が降っておらず、傘をさす必要はありませんでした。しかし、今日は朝から雨模様です。空はどんより曇り、今にも泣き出しそうな空です。
じつは、長く続いている巡検ですが、一度も傘をさした覚えがありません。あの梅雨が明けなかった1993年に男鹿半島に行ったときも、その時だけは降らなかったんです。でも、今年はどうしようもありません。隠岐郷土資料館を出たあたりから、あめがぽつぽつ降ったりやんだりでした。まぁ、降りている時に強く降らなかったのがもっけのさいわいです。
隠岐郷土資料館
五箇村にあり、島根県で一番古い洋風木造建築物であり、現在は貴重な隠岐島の資料を展示する総合資料館となっている。植物や生活用具などの展示のほか、地質に関する展示もしっかりしている。近くには、約1万本の隠岐石楠花(シャクナゲ)があり、5月初旬には見事に咲き誇る。今回は、まずここで地質・岩石に関する予習から始めました。
また、この資料館は、水若酢神社の裏手にあります。この神社はすごく立派で、出雲大社を連想させました。
あと、この神社にもあったんですが、島内の至る所に、きちんと屋根のついた相撲の土俵があったのが印象的でした。
隠岐郷土資料館
水若酢神社
水若酢神社
久見漁港
島の北の端より少し西側にある久見漁港。そこに向かう途中、久見川の両岸に隠岐流紋岩の露頭が連続して見られる。流理構造が明瞭できれいな石である。さらに、久見漁港では大規模な隠岐流紋岩の崖が続いている。足下に転がっている石をよく探せば、黒曜石が見つかる。
赤崎採石場
隠岐粗面岩を整合に覆う隠岐流紋岩の露頭。黒曜石もある。
露頭の一番上の層は、隠岐流紋岩の溶岩。層厚は約20m。その下の層は、隠岐流紋岩の溶結凝灰岩。層厚約10m。何回にもわたっていろいろな物が降ってきたと見えて、何枚もの層になっている。普通、火山の噴火に伴って、まずは火山灰やスコリアといった、火山砕屑物が吹き上げられて堆積する。その際、相当熱を持っているので、層が厚い場合は、自分の熱で自分自身が再度解け溶結し、その後に溶岩が流れる。したがって、ここでも、溶結凝灰岩の上に溶岩が流れている。
その下には、隠岐粗面岩の溶岩の層が見える。層厚約10m。ここでは見えないが、もう少し左側に行けば、その下に、隠岐粗面岩の火砕流堆積物が見える。
流理構造がきれいな久見漁港近くの隠岐流紋岩
赤崎採石場
牛突き(観光)
水若酢神社の裏手に隠岐郷土資料館があり、その裏手に、「牛突き」をする所がある。この牛突きは、島の農家が、各家で飼っている牛を使い、角をつき合わせて勝負をさせる物で、日本の中ではここが一番古いとされている。現在でも、年に何回かあり、横綱などそれぞれの階級が決まっている。現在では、観光のために、定期観光バスの運行時間に合わせて毎日行われているが、農耕に牛を使わなくなってきたので、農家で牛を飼う意味が無く、その維持が大変らしい。
私たちがみせて頂いた観光のための牛突きは、10分程度で、勝負を途中でやめさせる物ですが、大変迫力がありました。本当は、勝負がつくまで、延々と続くそうです。
迫力のある「牛突き」。それぞれの飼い主が横について声をかける。
銚子
現在、銚子川に銚子川ダムが建設中である。こうした大工事の時には、山肌を大きく削り取るので、露頭観察のチャンスである。ただし、今回は、場所の関係から、大きな露頭は見せてもらえず、付帯工事で、道路建設を行っている所に切り通しがあるのでそこを見せてもらった。対岸の大露頭は隠岐片麻岩が見られるが、この場所は隠岐流紋岩が見られる。
隠岐流紋岩の露頭。流理方向は縦に近い。
珪藻土観察
飯の山採土場では、久見累層(中新世中部)の飯の山珪藻土層を露天掘りで採掘し、その珪藻土を工業素材(保温材・濾過材)として出荷している。隠岐の珪藻土は浅海性である。もちろん、これは珪藻(ケイソウ)という植物性プランクトンの化石のかたまりといえます。学校では、プールの濾過材として使用していますが、昔ほど需要はないようです。
珪藻土を掘っている露頭
宿舎へ
雨にたたられた今日の巡検。ただ、幸いなことに、歩いている時は雨はそれほどでもなかった。ただ、露頭の観察や、講師の話を聞くときは、傘をさしたままというのはつらいものがある。しかし、わからない所は、移動のバスの中での質問や解説で補った。また、夜の学習会でもいろいろ質問がで、講師の方々には、丁寧に優しく解説していただいた。