〜隠岐・島後の地質巡検〜
三日目 8月19日(水)
西郷
昨晩は、激しい雷雨があった。朝方近くまで、相当雨が降った様子。でも、朝の空はそれほどでもない。西郷の空は青空も見えている。ただ、北の方の山には低い雲がかかっており、雨が降らないことを願う。天気予報では、一応、晴れに向かう様である。
今日は、島の一番北から始めて、島の東側の巡検である。
中村隠岐海苔田ノ鼻海岸
島の北端の岬より少し東寄りに、中村港がある。この東側には岬がつきだしており、そこには、大峰玄武岩の柱状節理が林立し(写真参照)、その一部が崩れたのであろうと思われる岩石が海岸に向かってたくさん落ちている。この岩石には、カンラン岩の捕獲岩が入っている。
カンラン岩は、マントル物質とほぼ同じと考えられ、地中深部の様子を知る上で貴重な岩石である。ここの溶岩がカンラン岩が入っていると言うことは、溶岩が地中深くから上がってくるときに、まわりの岩を巻き込んで一気に上がってきたと考えられる。もし、ゆっくり上がってきたなら、途中でカンラン岩は溶かされてしまうからである。
地学班の巡検では、5年前に行った男鹿半島の一の目潟で某先生が見つけた握り拳大のカンラン岩を思い出す。これほど大きな物が見つかることは珍しいということで、みんなで大騒ぎをした。これは、現在、大阪府教育センターにあるらしい。
なお、海苔田ノ鼻というのは、このあたりには、自然の岩海苔がたくさんつくことからこの地名があるようだ。冬の海の穏やかな日をねらってとるらしいが、穏やかといっても冬の日本海である。命がけの作業だそうだ。
向こうに見える溶岩の露頭は柱状節理がよく発達している
白島(観光船)
中村港から北の端の白島岬まで、切り立った崖が続く。ここは、隠岐流紋岩の露頭がよく見える。ただし、海岸の絶壁であるので、観光船に乗って観察するしかない。
小さな観光船であるが、ほとんどが船内に乗るようになっており、窓越しに見るようになっている。船頭さんは、ゆっくりと崖のそばまで船を近づけて見せてくれる。それは立派な流紋岩の壁が広がっている。層が非常によくわかる。一口に流紋岩といっても全部溶岩ではなく、火山砕屑物(火山灰やスコリアなどの層)と溶岩の層が重なり合ってたくさんの層になっている。何回も噴火を繰り返したのがうかがえる。
船頭さんは、片手にハンドル、片手にマイクで、おもしろおかしく説明してくれる。じつにユニークである。ましてや、○○岩や○○壁といった名前が付いている場所は露頭であり、私たちみんながカメラを向けて写真をとるものですから、何回も船を回してくれて、右からも左からも写真が撮れるようにと大サービスであった。
北の端にある「白島」という地名は、実際に真っ白に近い色をした島が1つあり、ここの辺りを白島と呼ぶようになったようだ。
この島のすぐとなりに沖ノ島があり、ここには灯台がある。ここは、実質上、中国地方では一番北の灯台となり、重要な所らしい。もちろん、本来一番北なのは、ここから北北西はるか沖にある「竹島」であるが、現在は韓国が占有している状態ですから。
また、今日は西風が強かったのですが、ここは東向きの海岸ですので、西にある半島が風を遮ってくれていましたのでましでしたが、それでもポイントとポイントを移動するときにスピードを上げると、相当の水しぶきが上がっていました。また、半島の先に出たときと、岸から離れると、相当の揺れでした。ということで、ここの観光船は、船内から窓越しに見るようになっているようです。きっと、冬の海はすごいんでしょう。
綺麗な層の縞模様があちこちで見られる
白っぽい所もある
浄土が浦海岸
中村から海岸線沿いにすこし南に下ったところに、布施という町がある。ここの岬に遊歩道があり、そこを一周して露頭を観察した。
ここでは、安山岩質〜流紋岩質の溶岩や火砕岩(時張山累層:中新世前期)を観察した。また、久しぶりに有名なグリーンタフを見ることができた。男鹿半島で見たのを思い出す。また、カンラン岩の捕獲岩がここでも見つけることができた。20kgを超えるサンプルを抱えて、階段を上り下りした強者もいた。いやぁ、これにはびっくり。
また、ここは海に突きだした半島に遊歩道が着いているのですが、階段を上ったり下ったりで大変だった。しかし、OBの方々はスタスタといかれ、バテていたのは現役組でした。これはいったい、いかに????
深緑の所がカンラン岩
真ん中から上が、火山砕屑物。もちろん、不整合で覆っている
卯敷南方
もう少し南に下ったところに卯敷という町があり、そこの町外れにある保養センターで少し遅い昼食後、その南側の海岸で、捕獲岩のサンプルを採取した。ここが、一番大きい捕獲岩が入っていた。 また、そのすぐ南側に短いトンネルがある。ここの上の方は、海岸に向かって、火砕流が流れた様子がうかがえる。
東郷の露頭
西郷の街で、西郷玄武岩のろとうを探した。候補は2ヶ所あったのだが、いずれも見られなかった。
宅地開発が進んだのと、やはり、危ない露頭の崖は、すぐにコンクリートで覆われてしまうからである。
つい先日まで、岩の露頭だったところが、行ってみたらコンクリートに覆われていたというのはよくある話。
結局、西郷玄武岩は見られずに、宿に戻った。
夜の学習会
隠岐の地質全般をまとめる形で、行われた。その後、番外編として、有志で星の観察も行った。幸いにしてよく晴れ、久しぶりに天の川を見ることができた。